耳をすませば

 まあ例によって放映されれば観てしまうわけで。なんというか、年経るごとに凹み具合が増していく気がする。「まだ高校を卒業していない」という夢を以前はかなりの頻度でみていたのだが、最近ではもうみられなくなっている。致命的な悔恨とか諸々、記憶から消去しなければやっていけなかった思い出とかが作用しているのだろうと適当に分析していたが、その夢すらみないということは、その後の、社会人としての自分の記憶が堆積して、我が身を苛む記憶を漏れ防ぐ壁となり得たのかもなあ、なんてまた適当に結論づけたりなんかしたりする。