英雄はつくるものじゃない

 世の中の流れは速く、まさかの急転直下。大晦日からネットを騒がせていた桜庭和志vs秋山成勲ですが、「Dynamite!!」主催のK-1運営側が秋山選手の不正を認め、桜庭選手の負けを取り消し、無効試合にしたことを公表。まずは喝采を。同列にして語るには余りにも次元が違うことなれど、明らかに不審な死を遂げているにもかかわらず、自殺または事故として処理され、ネットで話題騒然となるもやがて鎮静化していく有象無象に、どうせ今回も、と私は半ば諦めていました。実際、競技者として真っ当な意見をブログで公にしたのは菊田選手くらいで、皆は沈黙を貫きました。
 世界的な流れはUFCへと移行していますが、さしあたり日本で活躍の場を求めるならば、何といってもK-1は一大ブランド。ファイトマネーが修斗ZSTの比ではないこと、素人にも分かります。迂闊なことを口走って目をつけられでもしたら、人生の選択肢を一つ失う結果になりかねません。菊田選手はアブダビ・コンバットという、ある種マンガのような世界最高峰の競技会で、一般の知名度は別として、その価値を不動のものとしました。しかし大多数のその他格闘技浪人たちは、未だ己の実力を世にアピールする機会を持てず、燻ぶっているのが現状です。ぶっちゃけたいが、二の足を踏む。ここ数日、そんなジレンマに煩悶した選手が密かに多くいてほしいと、私は願ってやみません。
 格闘技が好きです。普通の人間が遊び、眠る時間を犠牲にして肉体を鍛え、技を磨いた者たちが二人、互いの強さを問い合う。そこには夢があります。勿論、闘う理由は様々だろうし、まともにつきあったら辟易するような性格の選手もいるでしょう。でも構わないのです。それらは肉体に宿る意志であり、動機であり、燃料となるでしょうから。けれど条件だけは譲れません。素手の相手に拳銃を使うような真似は、闘技者への憧れを崩壊させ、酔いを醒まし、そのステージの価値を暴落させてしまいます。